■新蕎麦になりました 新そばの時期になると、感じる事があります。 それは、新そばが、新そばだけが、一番おいしくてそこから時間がたてばたつほどおいしくなくなってゆくのだ、などとは私は思っていないのですが、つまり、年を越したほうがそば粉は落ち着くとも思いますし、例えば端境期のそばだとしても、ここが蕎麦屋の腕の見せ所なのですが、挽きたてのそば粉で丹念に打てば味が落ちるとは思わないのです。 が、しかし、私の思いなどは超越して、実際に新粉で新そばを打ってみますと、手に吸い付くような瑞々しさと手のひらを跳ね返すような力強さが同時にあって、わずかに薄黄緑色の幻想的な色合いとあいまって、自然の恵みの想像を越えた豊かさに、打ち手として、毎年、ソッチョクに、やっぱりちょっと感動してしまうのです。(2003/11/26) |
■お蕎麦大好きそば店主? 「10年の味を覚えよ」と修業先の社長に教えられてから26年が経ちました。その間、ほぼ毎日、つまりお休みでない日は毎日、一日に一度はお蕎麦を食べてきました。一体今までに何食位食べたのか。 私は一度にもりそば二食分位いを頂きます。一年で平均すると650食位はいくでしょう。650食×26年=1万6900食となります。この数字、多いのか少ないのか。一日に一食ですと52年かかる。そう考えますと、決して少なくはない。むしろそんなに食べて大丈夫?というカズなのかもしれません。 それに加えて、父方も母方の実家も蕎麦屋でしたので、仕事に入るまでの間に1000や2000は食べていると思います。 お蕎麦が好きで食べてきたのですが、あらためて静かに考えますと「お蕎麦大好きそば店主」ではなく「お蕎麦大喰らいそば店主」なのではないかという声に素直に耳を傾けねばならない1万6900食ではある、と思うのです。(2004/3/16) |
■ルチン ルチンとはかつてビタミンPと呼ばれ、エンジュやタバコに多く含まれますが、食べられるものでは蕎麦にしか含まれません。昔から蕎麦が高血圧予防に効果があるといわれているのはルチンの働きにほかなりませんでした。現在では、その他にも、ソバポリフェノールの一種であるルチンが大変すばらしい能力を備えている事が次のように明らかになってきました。 <毛細血管の強化> 毛細血管の膜に厚みと弾力性を持たせる働きがあるため、血管を強化させ切れにくくし血液そのものを浄化する作用があります。 <血圧降下作用> 血液の流れを良くし血圧上昇物質の働きを弱めます。血圧はアンジオテンシン2(血圧上昇)、ブラギニン(血圧降下)のバランスによって保たれており、このバランスが崩れると血圧が上がったり下がったりします。ルチンは血圧上昇物質の働きを弱めます。そのため、高血圧や脳溢血、高脂血症、動脈硬化症などの血管障害の予防に効果があります。 <すい臓機能の活性化> 血糖値の調整を行うすい臓に障害をもたらす物質の働きを弱め、インシュリンの分泌を促し、血糖値を下げるため糖尿病の予防と抑制に効果があります。また、眼底出血などの合併症予防にも効果的です。 |
■蕎麦のたんぱく質 |
■風評=遺伝子vs蕎麦パワー 先日、私が「くも膜下出血で倒れた」という風評が流れました。くも膜下出血といえば、幸い処置が間に合ったとしても、その後の脳血管れん縮で脳梗塞を引き起こしたり、重篤な後遺症を残したり、発症者の3割くらいが死にいたるという怖い病気です。 二つ下の弟が3年前にくも膜下で倒れており、今回の風評はそれとゴッチャになったものなのでしょう。仲間内の笑い話で済んだのですが、話しも忘れかけた頃、女房が「ダンナ大丈夫かね?」と二人の方から別々に聞かれたそうです。そのお二人の方は、風評元とはまるで関係のない方たちでどこでどう繋がっているのか…う〜ん、風評なかなかに恐るべし、です。 さて、母方の祖父が脳卒中で亡くなりましたので、弟のこともありますし、私がその遺伝子を受け継いでいるのは間違いないと思います。3年前まで25年以上ヘビースモーカーでした。酒飲みです。御酒は地酒の美味しいのを欠かさずいただいております。 こんな私ですから、【ルチン】で調べましたように、蕎麦には血圧を下げ、動脈硬化を予防し、毛細血管を強くするという優れた働きがありますといわれても、素直にアッそうですね、と納得はできません。蕎麦のパワーvs私の遺伝子+生活習慣の戦いなのです。結果には甚だ自信がありません。今はただ、蕎麦を毎日食べているお陰で、御酒は地酒の美味しいのを欠かさずいただいております、などという幸せなことをのたもうていられるのではないか、という祈りにも似た思いだけなのです(*^^*)。 弟の方は本当に運よく、数ヵ月後に社会復帰することが出来たのでした。(2004/06/29) |
■天ぷらそばの天ぷら 蕎麦屋の天ぷらは、天ぷら自体はもちろんの事、お蕎麦を美味しくするための天ぷらでなくてはなりません。 現在は大体どこの蕎麦屋さんでも「揚げたて」の天ぷらをお出ししていると思います。しかし以前は、朝の仕込みの時にまとめて天ぷらを揚げて置き、冷めた天ぷらをお昼に使っていたものでした。 とお話しますと「おいおい、随分ひどい話じゃないか。冷めた天ぷらは不味いだろう」というお叱りのお声が聞こえてきそうです。 みなさんも、冷めた天ぷらに「分」は無いとお考えでしょう。私も断然揚げたての天ぷら派です。しかし、ここが味の世界の面白いところで、こと天ぷらそばの天ぷらに関してはそうとばかりも言い切れないのです。 以前の蕎麦屋では、天ぷらそばのご注文が入ると片手なべにつゆを沸かし、その中に「揚げ置き」の天ぷらを落としてひと煮立ちさせてから、汁ごとおそばに掛けてお出ししていました。その揚げ置きの天ぷらは朝方に揚げた物で、昼時に使うまでに二、三度場所を移され、冷めて油が切れた状態になっていたわけです。衣もほんの少し今より硬めだったと思います。 冷たいおそばに天ぷらが付く天ざるが登場する前はほとんどの蕎麦屋の天ぷらは「揚げ置き」でした。天ざるが登場して後、蕎麦屋の天ぷらは「揚げたて」に代わっていったのです。 現在は泉家をはじめ大体どこでもご注文を伺ってから揚げる「揚げたての天ぷら」です。「揚げたて」の場合はなべに落としますと衣が溶けてしまいますからおそばの上にじかに天ぷらを置きその上からつゆを掛ける様にいたします。あるいはつゆの上にジュウジュウいってる様な天ぷらをそのまま置くようなことになります。 冷たいそばに天ぷらが付く天ざるの場合は揚げたてのサクサクとした天ぷらがよろしいです。では、天ぷらそばの場合はどちらが美味しいのでしょうか。 ほとんどの皆さんは揚げたての天ぷらそばに軍配を上げるのではないでしょうか?それが今の時代が求めたひとつの正答です。 同時に、揚げてから二、三度場所を動かされ二、三時間以上経った揚げ置きの冷めた天ぷらを沸騰したお汁の中に落とし、汁ごとおそばの上にかけた天ぷらそばのほうが美味い、という答えもあるのではないでしょうか。 つまり、「揚げ置きの天ぷら」は蕎麦屋が横着で手間を省くだけのためではなくて、古の時代が求めたひとつの正答であって、味の道理にもとずいた存在理由のあるものだったと思うのです。 ある時、ラーメン店のご主人が「半日くらいほっぽらかして置いたような天ぷらに天丼の汁をたーっぷり染み込ませたような天丼が俺りゃー好きだ」と言われました。 私の好みは、このご主人の言を借りれば「半日くらいほっぽらかして置いたような天ぷらを、手鍋の中でひと煮立ちさせ、そばの汁をたーっぷり染み込ませたような天ぷらそばが俺りゃー好きだ」となります^○^。 「そんな天ぷらそばが食べたい」というお客様がいらっしゃいましたなら3時間くらい前に電話くださいね。喜んで対応させていただきます。(2004/05/25) |
■春の応援歌 コノサカズキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ ― 井伏鱒二 ― この詩を口の中でぶつぶつと呟くと、コンバンモマタノマネバナルマイ!といった確信に近い感情がふつふつと湧きあがってくるから不思議です。井伏さんは、もしかするとひょっとして、酒飲みであるご自身のための応援歌の春バージョンにしようとして訳詩されたのかも知れぬ、などとさえも思えて来るのです。このハナはサクラでしょうか。サクラ吹雪の下で杯をかたむけている情景をしみじみと思い浮かべて、「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と来ますと、「そうかサヨナラダケガ人生なのか、アァ悲しいなァ・・・もう一杯!」となってしまうのです。 いやはや何ともアイも変わらず訳の分からぬダラシのない話で恐縮ですが、この応援歌は、私の場合、次の時節の応援歌の「メニハアオバ ヤマホトトギス ハツガツオ」が口をついて出て来るまで続くのです。いやはや何とも・・・。 先日、5月3日の成人式(2001/5/10)でお話した彼女が数年振りに顔を見せに来てくれました。今どうしているのか聞きますと自動車修理屋さんに住み込みで働いていると言います。しばらく話をした後、思い切って聞いてみました。「役者さんになる夢の方は・・・?」「今はまずお金をためてと思ってます。まだあきらめていませんよ」とニコニコしながら答えてくれました。 肩の力の抜けた物言いに、5年間で彼女が一回り大きくなったと思いました。なにも夢を追いかけるのに直線である必要はないのですね。そしてこの際、彼女にとって夢が叶うか叶わないかはそれほど重要な問題ではないゾ、という気が次第にしてきました。 彼女は自動車修理屋さんへのお土産にするので、この前と同じようにお蕎麦をクール便で送って欲しいと言いました。彼女にはもう『救援物資』は必要ないのでしょう。今回のクール便のお蕎麦は、彼女への春の応援歌のつもりで打たせて貰おうかと思っています。(2002/4/19) |
■夏大根イト・ウレシ |
■至福のとき 先週、手に入れた4冊のそばの本、珍しくこれが4冊ともに当りで、とても面白い。定休日の今日はとっかえひっかえ開いてはながめ、ナカラ一日、そばワールドに浸りました。 1冊目はサライ編集部編「蕎麦屋で酒を飲む」で、袴には「玉子焼き、板わさ、鴨焼きから蕎麦味噌まで…蕎麦屋で粋に飲む手引書です」とあります。まず表紙の写真でそそられます。表紙は神田まつやの店内で白磁の徳利と白磁の杯、蕎麦味噌、板わさ、もりそばが写っています。内容もカラー写真がふんだんに使われています。更科堀井の焼き海苔、室町砂場の玉子焼、茅場町長寿庵の鴨の合焼き、神田まつやの天ヌキ…。蕎麦屋で飲む酒を「蕎麦屋酒」とか「蕎麦前」と言いますが、この本を見ると蕎麦屋で一杯やりたくなること請け合いです。 私は蕎麦屋ですが「蕎麦前」「蕎麦屋酒」に憧れがあると思います。商う側としではなくて飲み手の一人としてです。おおごっつお(大御馳走)で飲む酒よりも「蕎麦前」はやっぱり粋だと思うのです。 2冊目はNHK出版、藤村和夫著「蕎麦屋のしきたり」です。袴には「粋に呑み、粋に食う。蕎麦通の薀蓄教えます」とあります。「…蕎麦通の薀蓄…」などというちょっと節操のない物言いながら、内容はしっかりしていてとても面白かったです。藤村和夫さんは元「有楽町更科」の4代目で、実際に蕎麦屋の仕事を熟知した上で書かれているからだと思います。その上で特に興味深かったのは蕎麦屋の天麩羅蕎麦について書かれた項です。 『「天麩羅蕎麦」は蕎麦屋の代表的な「種物」ですが、鴨南蛮や玉子とじが発売以来150年間ほとんど変わらぬ形であるのに対し、このくらい格好や売り方が変わったものはありません。』と始まり、波瀾万丈のいわゆる「蕎麦屋の天麩羅」の変遷について語られています。 ※「蕎麦の話」の中の「天ぷらそばの天ぷら」 も稚拙ながら蕎麦屋の 天ぷらの変遷についてお話しようとしたものです。ご参照ください。 3冊目は光文社新書、古川修著『蕎麦屋酒 ―ああ、「江戸前」の幸せ―』です。袴は「舌だけでなく、知と五感をフルに使い、蕎麦と酒肴と酒を愉しむ」となっています。 「はじめに」で著者は 『蕎麦屋で飲む酒は格別であり、居酒屋とは一線を画する』 といい、第一章「蕎麦屋酒の至福」で 『日本人に生まれてよかったと思うことは多々あるが、蕎麦屋で酒を飲むときこそ、まさにその最高の幸せを感じる』 といいます。 そして第6章「日本酒を美味しく飲む」 蕎麦屋の酒/ 大手の酒はまずいか?/ 幻の銘酒は美味しいか?/ 吟醸酒ブームのあと/ 酒の味のりと熟成…などは知らないことが多く、とても刺激的でした。 4冊目は作品社、渡辺文雄編「日本の名随筆別冊19 蕎麦」で池波正太郎をはじめ35人の方々が書かれた蕎麦の随筆集です。何回も座右に置いて読み返したい1冊ですが東海林さだおの「蕎麦屋の地獄」には参りました。 「人間はいつどこで、どういう災難にあうかわかったものではない。」で始まるこの一編、都内のある駅ビルの昼時の蕎麦屋で、いずれも相席らしい三人の中年女性の小さなテーブルに案内された東海林さんの災難を切々と綴ったものです。思わず笑い声を上げて読んでおりましたら、女房が可笑しいと訝りますので、読んで聞かせてやりました。女房も可笑しいと声を出して笑いますが、私のほうはもっと可笑しく、鼻は垂らすは涙は出るは、ぐちゃぐちゃになりながら音読したのでした。あーあ、こんなに可笑しいのは何年ぶりだったろうか? かくして私の至福のときはヒーヒーという笑い声とともに過ぎていったのでした。蕎麦好きの皆様、よろしかったらご一覧あれ。(2004/11/16) |
■蕎麦のビタミンと食物繊維 |
■清めのそば |
■盛り方の基本 |
蕎麦の話
welcome sobadokoro izumiya homepage
糸魚川のお蕎麦大好き蕎麦店主が立ち上げたお蕎麦密着型Web
■夏の薬味 青空がとってもきれいで、太陽がまぶしすぎる8月の越後糸魚川からおおくりします。 最近の猛暑で身も心も少々ヘタリぎみな今日この頃、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。7月31日にはお隣の上越市で38,9℃という扁桃腺の熱みたいな数字を記録したそうです。38度を超えるのは今年3回目くらいかな? そんなヘタッた心と体にカツを入れてくれるのがお蕎麦の夏の薬味「へれつぶ」なのですが、今夏は昨日、8月2日で終了してしまいました。お盆を過ぎたくらいでお仕舞になるのが例年ですので、今年は猛暑の日数(ひかず)に比例して「へれつぶ」のウレユキもよかったようです。 6月から始めた生そばのクール宅配にも「へれつぶ」をお付けしました。なじみのないお客様になかなか受け入れてもらえないのではないかと迷いましたが、当地の夏の味をそのまま、泉家でお出ししている通りにお届けしたいとお付けすることにしました。そのままでは何がなんだか分かりませんので、次のような説明書きを付けました。 ◇「へれつぶ」 同封のラッキョウ状の物はあさつきです。これを糸魚川では「へれつぶ」といいます。薄皮をむき、かじりながらおそばをいただくわけですが、鮮烈な辛さと清新な香りがあり、おそばの甘味を引き立てます。 初めて召し上がられるお客様は「へれつぶ」のあまりの辛さにビックリされます。私も10年以上離れていた糸魚川に帰ってきての最初のひと夏は「へれつぶ」の辛さに戸惑いましたが、今では、6月になって「へれつぶ」が出るのを心待ちにしている一人です。ただ、8月の末頃に薬味が長ネギに変わるとホッとするのも事実で、まさに「へれつぶ」は暑い季節に良く合う「夏の薬味」と申せましょう。 今日は定休日。明日8月4日からは薬味が長ネギに変わります。へれつぶが長ネギに変わっても、「ホッと」するのはもう少し先になりそうですが。(2004/08/03) |
■明けましておめでとうございます |
■忘れ得ぬ味 |
■冷たいお蕎麦が気持ちいい |
■生卵くらさ―ぃ |
■商店街のつばめ |
■冬至の柚子切りのこと 昨年の事で恐縮ですが、冬至になると懐かしく思い出すのが「柚子切り」です。ただ、数日後に大晦日の年越そばが控えているため、いつもアワタダシク通り去ってしまうのが私の冬至の「柚子切り」の思い出でした。そこで、昨年どころか、もう豆まきも終わってしまったのに申し訳ないのですが、一度ちゃんと冬至の柚子切りの記憶をお話しておきたいと思ったのでした。 「柚子切り」と申しますのは、更科そばにゆずの皮を揉みこんだ変わりそばのことです。変わりそばは、卵切り、茶そば、桜海老、ごま切り、海老切り、けし切り、草切りなど他にもたくさんありますが、その中でも柚子切りはとても美味しい部類の変わりそばです。私の勤めておりましたそば屋でも冬至になると柚子切りをお出ししておりました。冬至の日だけで、通常の営業とは別に、220〜230食の柚子切りを用意して、無くなったらお終いという事にしておりました。 分量は柚子切り10人前に対して大き目(とても大きいです)の柚子が6個ですので、用意する柚子の数は130〜140個です。柚子は表面の皮だけを使います。裏のワタ毛がつかないように丁寧に表面の皮だけをむきます。この表皮だけになったものに、水を少し加え、ミキサーで充分に擂り潰し、どろどろにします。これを裏漉しにかけると、クリーム状のきれいな柚子の糊がとれます。それを二八の更科粉(更科粉八、小麦粉二)に混ぜて打つわけです。 さて更科そばを打つのには「湯ごね」をいたします。つまり更科粉の四分の一の量を熱湯でそばがき(このそばがきを「新粉」といいます)にしてから、残りの粉を合わせて打ってゆきます。一方柚子切りは糊状の柚子の分量が入りますから、新粉の量は更科粉全体の四分の一のそのまた三分の二位にしなければなりません。柚子の糊は新粉を作った後で加えるのですが、その際、柚子の糊を十分に湯煎して温めておくことが大事です。更科そばは温かみのあるうちに打ち終えなければ、足が繋がりにくい(そばが長くならない)からです。 柚子切りはお店では揚げたてをお出ししますが、更科そばのときにお話しましたように、本当に美味しいのは(ここだけの話ですが…?)素早く水切りをして御土産そばにした時です。昭和58年当時、更科そばの御土産3〜4人前用の「竹」が2,000円で1人前用の「梅」が700円の時、柚子切りの御土産そばの「竹」が2,800円で「梅」が900円位だったと思います。 その日は私も柚子切りの「竹」を買って帰りました。家に帰りおみやの蓋を開けるとおそばは上品な柚子の色です。小さな我が家が柚子の香りに包まれました。私たちはその年の4月に二番目の子供が生まれていました。私は熱燗をつけて貰い、家族そろって柚子切りを頂きました。今にして思えば柚子は青春の香りだったか…。その後、子供とだったか一人でだったか、風呂に入る時、湯船に、薄く表皮がむかれた大きな柚子が家族の人数分、ぷっかりと仲良く浮かんでいたのは、よく覚えています。(2004/02/25) |
■返し(かえし) 以前、泉家HP立ち上げのときに「生がえしと本がえし」の話しをいたしましたが、もう少し付け加えたりして、返しの話をしてみますね。 前回の内容は次のとうりでした。 『醤油と砂糖をまぜ合わせたものをかえしといいます。土中のかめなどにねかせておくと、醤油の角がとれ当たりがおだやかになります。「本がえし」はかえしを取る時に醤油を加熱したものであり、「生がえし」は醤油を加熱していない生のかえしです。一般に、「更科」系の白っぽい蕎麦には、風味が弱いので、そばつゆは醤油の風味を徹底的にころした温和な汁を作るため「本がえし」の方法にし、「藪」系の挽きぐるみの蕎麦には、すっきりとした冷たい辛さが合っているため、「生がえし」の方法がとられているといわれます。』 「醤油を加熱する」というのは醤油を沸騰寸前まで加熱するということです。醤油を加熱しますと黄金色の細かなクリーミーな泡が表面を覆いつくします。そのうち真ん中辺にぽっかりと穴が開いて醤油が顔を出します。これを「窓が開く」といって窓が開いたら加熱終了です。沸騰させてはいけません。私の修行先の主人は「醤油に加熱すると醤油屋さんが嫌がるんだよ、アハハハハ」と申しておりましたが、どちらが上等ということではなくて、「本返し」も「生返し」もそれぞれ持ち味があるわけです。 「砂糖とまぜ合わせる」といいますのは砂糖をそのまままぜ合わせるのではありません。多くは一定量の水で砂糖を煮溶かし、かえしと合わせます。お店によっては醤油の一部で煮溶かすところもあるようです。 本返しは更科系や砂場系で多く使われます。生返しは藪系で多く使われます。本返しと生返しを半分ずつ混ぜる本生返しというのもあります。 いずれにしましても、返しにだし汁を加えてそばつゆを作り、つゆと返しを組み合わせて丼もののつゆや天丼のつゆ、店によっては焼き鳥のタレや鬼がら焼きのタレを作るわけで、返しは蕎麦屋の味の基本です。 一種類の返しでやっておられるお店が多いと思いますが、泉家では二種類の返しを取っています。まず、もり(つめたいお蕎麦)用のつゆとかけ(あたたかいお蕎麦)用のつゆとは性格が違うためにもり用とかけ用の二種類の返しを取っています。二種類とも生がえしです。そしてもり用の返しの一部にみりんを加えて加熱したものを第三の返し、御膳返しとして使っています。第三の返しはいわば、醤油を加熱するということで「本返し」です。ですから正確に申せば三種類の返しを取っていることになります。 種類が多ければいいという訳ではありませんが、泉家の場合、第一と第二の返し、そしてそばつゆと第三の返しが味の基本になっており、それぞれが絶妙に結びついていますので一つをかまうと味のバランスが崩れてしまいます。つまり第一と第二の返しが味の基本になり、第三の返し、御膳返しが万能調味料になっているわけです。 ソモソモ、もり蕎麦とざる蕎麦はどこが違うのか?ソモソモ、はつゆが違います。ざる蕎麦のつゆには御膳返しが入りますので、表現が適切かどうか自信がありませんが「どっしり」としたつゆになります。書かれたものを見ますと「もりとざるの違いはつゆの違いですが、最近では御膳返しを取る店がほとんど無くなったのでもりとざるのつゆを違えている店は少なくなった」とあります。 なぜ取らなくなったのかちょっと分かりませんが、少なくとも泉家では万能の御膳返しを手放す気などはございませんが…。(2004/10/09) |
■幾つまで 父親から泉家を継いでくれといわれたことは一度もない。むしろ「継がんでいい、好きなことをやればいい」と再三にわたり言われていた。それでも自分の意思で継いだのだから、今も良くは分からないのだけれども蕎麦屋が私の好きなことだったのかも知れない。 さて、好きで継いだ蕎麦屋だから私の代でお仕舞いにしてもかまわないと以前から思ってきた。子供たちにも私の父親と同じように「一度の人生、好きなことをやりなさい」と言い続けてきた。おかげで3人(姉、弟、妹)の子供たちは蕎麦屋とは関係のないそれぞれの道へ進み出しそうである。 昔、真ん中の長男が「蕎麦屋になるためにはどの高校に行けばいいのか」と聞いてきた。なんと答えたかは忘れたがこの子なりにマワリからのプレッシャーは感じているんだなと思った。そんなモヤモヤとしたプレッシャーは跳ね除けてやりたいものだと考えていた。 先日帰省していた長男に聞いてみた。 「お前、定年後に泉家を継いでくれんか?」 「うん、いいよ」 新たなマサカな目標が出来ました。子供が60歳で定年したら私は88歳まで、定年が延びて65歳だったら私は93歳まで^○^蕎麦屋をやらなければならないのだ!(2005/07/19) |
■右か左か、さあドッチ? 左ヒラメ右カレイはヒラメとカレイの見分け方ですが、左か右かといえば焼き魚の頭は左向きですよね。海老の塩焼きも左が頭ですね。では、天ぷらそばの海老天の向きは、さあドッチ? ピン揚げ(一尾を棒のように揚げたもの)の場合は、頭が付いていたのをイメージして尻尾を右にする場合が多いようです。現在の泉家も、お客様が右利きの場合に召し上がりやすいとも思いますので、尻尾を右にしてお出ししています。 つまみ揚げ(数本の海老を等間隔に並べてつまみ、四角い筏の形に揚げたもの)の場合は、以前の泉家の天ぷらがそうでしたが、海老の御生前のオスガタを偲ぶことなく、尻尾の方を左に向けろとウチの年寄りが頑固に申しておりました。四角い筏から出た数本の尻尾をつまみ揚げの頭と見なしているのだと思います。 以前、修行先の店で海老の天ぷらの向きに話が及んだとき、主人が古い先輩の話と前置きして「その日の天ぷらそばの一杯目、左向きに海老天の尻尾を置いたらその日一日は左向き、右に置いたらその日一日は右向き」と笑いながらも大真面目に教えてくれました。^○^本当かどうか、真偽のほどはいまだ分かりません。 海老の背中をお客様にお向けするのは失礼ということで、海老の腹側が向くように通常とは逆向きに揚げているお店もあります。右、左ではなく尻尾が12時方向のお店もあります。店々でその店なりの流儀があろうかと思います。そうなりますとこのお題の方も「右も左も、ドッチとも!」ということになりましょうか。(2005/02/15) |
2001-12-05 | ■シンジガタキコトナレド | ||
2001-11-06 | ■鴨南ばんと牡蠣そば | ||
2005-07-19 | ■幾つまで | 2001-10-06 | ■業突張りのコンコンチキ |
2005-02-15 | ■右か左か、さあドッチ? | 2001-09-11 | ■きっかけの一杯 |
2004-11-16 | ■至福のとき | 2001-07-30 | ■そうめんとひやむぎ |
2004-10-09 | ■返し(かえし) | 2001-07-14 | ■サルボウ |
2004-08-03 | ■夏の薬味 | 2001-07-04 | ■蕎麦っ食いのロマン |
2004-06-29 | ■風評=遺伝子vs蕎麦パワー | 2001-06-23 | ■カレー南ばん |
2004-05-25 | ■天ぷらそばの天ぷら | 2001-06-12 | ■食べ歩き考 |
2004-04-20 | ■春が来る日 |
2001-05-29 | ■薪釜の仕事 |
2004-03-16 | ■お蕎麦大好きそば店主? | 2001-05-10 | ■5月3日の成人式 |
2004-02-25 | ■冬至の柚子切りのこと | 2001-04-19 | ■へっつぶ、ひっつぶ、へれっつぶ |
2003-11-26 | ■新蕎麦(秋新)になりました | 2001-04-03 | ■もりそばのつゆ |
2003-11-04 | ■ルチン | 2001-03-21 | ■音を立ててもいいの? |
2003-10-21 | ■蕎麦のビタミンと食物繊維 | 2001-02-16 | ■更科そば |
2003-10-14 | ■蕎麦のたんぱく質 | 2001-02-08 | ■霧下のそば粉 |
2003-07-07 | ■商店街のつばめ | 2001-02-08 | ■木鉢三年 |
2003-05-10 | ■生卵くらさーぃ | 2001-02-08 | ■生がえしと本がえし |
2002-09-09 | ■夏大根イト・ウレシ | 2001-02-08 | ■蕎麦と酒 |
2002-06-09 | ■冷たいお蕎麦が気持ちいい | 2001-02-08 | ■のびた天ぷらそば |
2002-04-19 | ■春の応援歌 | 2001-02-08 | ■水の一切れ |
2002-03-21 | ■盛り方の基本 | 2001-02-08 | ■湯桶(そば湯) |
2002-02-14 | ■忘れ得ぬ味 | 2001-02-08 | ■職人哀話 |
2002-02-14 | ■清めのそば | 2001-02-08 | ■年越しそば |
2002-01-01 | ■明けましておめでとうございます | 2001-02-08 | ■秋そば(秋新) |
■春が来る日 糸魚川に春を呼ぶ4月10日の「けんか祭り」は天候にも恵まれ、花の香漂う宴のむしろで「ええ祭りだったわ」の声とともに終了しました。一方、泉家に春を呼び込むのは「池掃除」で4月16日に御身湿やかに(?)執り行われました。 今年嬉しかったのは、金魚が19匹とも冬を越したことです。19匹の内1匹は臆病で慎重な性格のようなのですが二冬目を越し、残り18匹が初めての冬を無事に乗り越えました。冬の間は縁の下の方に居て姿を見せませんでしたが、3月になり、水が温み暖かな日は少しづつ姿を見せるようになって、最近では17、8匹を確認出来るようになっていました。 一昨年の確か11月のある日、ふと気がつくと金魚が一匹もいません。20匹位の金魚がまさに一夜にして忽然と姿を消したのです。この前までいた、いや三日前までいたとみんなでオロオロしても訳がわかりません。鳥かイタチかネズミか…と気を重くしたのでした。 翌春、何もいない池に赤いものがポツリ。1匹だけ生き残っていたのです。それが今年二冬目を越した金魚だったのです。その金魚は背骨が少し曲がっているためほかの金魚より早く泳ぐことが出来なかったはずなのです。臆病な性格が幸いしたのかもしれませんが、どういう幸運が彼にもたらされたのか、どのようにして窮地を乗り越えたのか、それは嬉しくも想像力をかき立てられる不思議な出来事でした。 そのような事がありまして、今年、池の水を抜くために金魚を捕まえたところ19匹全部が無事だったのです。あぁ春のうれしさ…。 泉家の季節の品の入れ替えは、以前は「暑さ寒さも彼岸まで」ということで彼岸過ぎにやっていましたが、糸魚川の季節感と合わない気がしました。10年ほど前から4月10日に入れ替えるようにしています。そのほうが当地ではシックリくるようです。やはり4月10日は糸魚川に春が来る日なんだなあと実感しています。(2004/04/20) |