■新そば(秋新)
 
蕎麦は夏蕎麦と秋蕎麦があります。秋蕎麦の新そばは秋新と呼ばれます。秋蕎麦が喜ばれるのは、香り、色、味ともに夏蕎麦よりすぐれているからです。蕎麦好き垂涎の的の妙高山麓産、いわゆる霧下の秋蕎麦(秋新)が出回るのは、みぞれも降る11月半ば以降です。うちのそば粉やさんが「違う畑の早い新そばなら手に入るよ」と言うと、ある蕎麦屋さんは「それなら要らない。新粉まで待つ」と言うそうです。泉家も首を長くして霧下の新そば、秋新を待っています。
■湯桶(そば湯)
 
冷たいお蕎麦をお召し上がりのお客様には、お客様のお声がかりがなくとも必ず湯桶をお出しします。残りのつゆに湯桶を差して蕎麦の余韻をお楽しみください。蕎麦の栄養につきましては、大変質の良い植物性たんぱく質、豊富なビタミンB類、毛細血管を強くして抗酸化作用のあるルチン等、蕎麦が成人病に効果のある食品であることは、最近とみに知られるようになりましたが、蕎麦のビタミン類は水溶性であるため少なからぬ量がお湯の中に溶け出しています。そば湯を召し上がられることは、栄養面からも理にかなったことで、昔の人の知恵に驚かされます。私も従業員さんも一日一回蕎麦を食べますが、必ずそば湯を飲んでいます。主たる理由は、そば湯が美味しいからなんですけどね。
へっつぶ、ひっつぶ、へれっつぶ。
 
4月10日のけんか祭りも終わり、すっかり春めいて、糸魚川は気持ちの良い季節を迎えています。
 
さて、5月になりますと泉家の薬味が長ネギから「あさつき」に変わります。あさつきの地下茎から茎の部分を5センチ程に切りそろえてお出しします。

6月頃になりますと、地下茎がらっきょう状に成長し、それを軒下につるして干したものを8月頃までお出ししています。この地方では、らっきょう状に成長したあさつきを「へれっつぶ」と言います。らっきょう状の薄皮をむき、かじりながらおそばをいただくわけですが、鮮烈な辛さと清新な香りがあり、おそばの甘味を引き立てます。

「へれっつぶ」の言い方は、当店の中でもその方の出身地(皆さん糸魚川近郊ですが)、在所在所によって微妙に変わるようです。例えば、「これはらっきょうですか?」「いいえ、へっつぶと言います」あるいは「ひりっつぶと言います」または「へりっつぶと言います」ナドナド。それぞれに正しいわけですから、またそれぞれに多少のコダワリもあるように思われますので店内ではあえて統一はいたしておりません。

初めて召し上がられるお客様は「へれっつぶ」のあまりの辛さにビックリされます。私も10年以上離れていた糸魚川に帰ってきての最初のひと夏は「へれっつぶ」の辛さに戸惑いましたが、今では、6月になって「へれっつぶ」が出るのを心待ちにしている一人です。ただ、8月の末頃に薬味が長ネギに変わるとホッとするのも事実で、まさに「へれっつぶ」は暑い季節に良く合う「夏の薬味」と申せましょう。(2001/4/19)
シンジガタキコトナレド
 
椎名誠さんのエッセーだったと思うのですが、山あいにあるうどん屋に入ったところ店内のいたるところに「○○スルベカラズ」「○○○ベシ!」というような注意書きがべたべた貼ってあり、内心大いに閉口しながらも注意書きに従って大人しく食事を済ませ、出口の低い木戸をくぐろうとしたところ「頭に注意!」の張り紙がある。よく見るとその横に「この後、世の中渡るには、頭を低くして行かれるのが宜しかろう」とある。椎名さん曰く「うるさいぞ、うどん屋!」。
 
シンジガタキコトナレド、食事中に話をすると店主に怒られるというラーメン屋があるそうです。これは塩で、これは天つゆで、と食べ方を指示する天ぷら屋もあるそうです。ざるそばを頼むと主人のウンチク・講釈が一緒にについてくるそば屋もあるそうです。また、「海老天は尻尾から食べて!」などとというそば屋の主人もいるそうです。なんだかタイソ―なことです。

店はお客様の店でしょう。食べ方に付きましても、他の業種は知りませんが「蕎麦の正式な食べ方」などというものはございません。蕎麦は幾百年かの時代があるようですので、その時代を通じて生まれた「美味しく食べるコツ」と言えるようなものはあるかもしれません。しかしそのコツも個人個人で違っていてしかるべきでありましょう。お客様がご自分の家に居るように、ご自由に、お好きなように、ご自身が美味しいと思われる食べ方で召し上がられるのが一番宜しいと思います。

ある時、ウチの従業員さんに「都会じゃ、蕎麦にワサビを塗ったくって食べるんですか?」と聞かれました。娘婿さんがそうやって食べていて、ビックリして聞くと「みんなこうして食べてますよ」と娘婿さんが言ったそうです。みんながみんな蕎麦にワサビを塗りたくって食べているのを想像しますと、それはそれでエライコッチャという気がするのですが、ご自身がお好みで蕎麦にワサビを塗りたくって食べるのなら、それが一番宜しいなァと思うのです。私が「初めて聞くけど・・・それもまた美味しいかも知れんね」と言って笑うと、「そうですよねえ。みんなじゃないですよねえ」とようやく得心した顔になり、彼女もまた「アハハハハ」と笑いました。(2001/12/5)
 
























蕎麦の話

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糸魚川のお蕎麦大好き蕎麦店主が立ち上げたお蕎麦密着型Web

蕎麦っ食いのロマン
 
志賀直哉が昭和3年に執筆した短編「豊年虫」の中に、信州上田の蕎麦屋での次のような下りがあります。

「間もなく坊主頭の元気な小僧が私の注文したものを持ってきた。蕎麦は黒く太く、それが強くよった縄のようにねじれていた。香りが高く、味も実にうまかった。私はこれこそ本統の蕎麦だと思った。ただ汁がいかにも田舎臭く、折角の蕎麦を十二分には味わしてくれなかった。東京の蕎麦好きが汁だけ持って食いにくるという話は尤もに思われた。」
 
直哉は相当の健啖家で自ら「食道楽じゃないが、食いしん坊だ」と語っていますが、とりたてて蕎麦好きと言うわけではありませんでした。その彼が「香りが高く、味も実にうまかった。これこそ本統の蕎麦だと思った」と言うのですから、「東京の蕎麦好きならずとも、美味しさはいかばかりか」と想像は一気に膨れ上がります。それでは実際に、汁だけ持って食べに行ったとしたらどうだったのでしょうか??
 
昭和3年という時代で、それも今となってはなんとも想像の域を出ないのであります。

蕎麦好き仲間2人が「並木の藪の汁で上野の蓮玉庵の蕎麦を食べたらどんなにか美味いだろう」と言う話になり、まずは並木の藪へ。テーブルの下で、忍ばせてきた入れ物に並木の汁を入れ、その足でこんどは上野の蓮玉へ。はたしてイタズラは見事成就したわけですが、その結果は??
 
みなさんはさて、どう想像されますか。
 
その結果につきましては、私からは申し上げないことにいたします。そのような想像やイタズラは「蕎麦っ食いの夢、ロマン」のような気がいたしますので。 (2001/7/4)
■職人哀話
 
私の修行先の主人から聞いた話です。
 
ある日店の入り口にお年寄りが尋ねてきました。主人が出てゆくと、前掛けに菜箸をそえて差し出し「これを買ってくれませんか」と言ったそうです。主人は店のものと相談し、「気味が悪いけど、おとなしくしているし、いくらか包もうよ」と言うことになり、お年寄りに渡すと丁寧にお礼を言って帰っていったそうです。主人は家に帰り、大旦那に「今日店でこんな事があったよ」と報告すると、大旦那は「それでおまえ、前掛けと菜箸はどうした」と聞いたそうです。「そのまま貰っときました」「そうじゃない。その人は、若い時は職人としてこの業界に貢献したが、今は年をとって働けなくなったといって喜捨をこうている訳だ。前掛けと菜箸はお金を添えてそのままおかえしするもんだ。」と言われたそうです。
 
「宵越しの金はもたねぇ」的な気質は昔の職人のなかに色濃くあったのでしょう。若い時はいいのですが、年をとってからつけが回って来てしまいます。今ほど福祉が充実していない時代のお話です。
■水の一切れ
 
上記とは次元の違う話です。
「蕎麦はあげたて」で、当店ももちろんあげたてをお出ししています。いちばん美味しいと思うからです。ところが昔から「そばは一水切れたところが美味しい」ともいわれます。一水切れて固まるか固まらないかの頃です。時間にして5〜10分後位でしょう。若い時には分からなかった「一水切れた蕎麦」の美味しさを、最近分かる気がします。かえって香りが引き立つ気がいたします。「これはアリだな」と思えます。なかなかに味覚と言うのは奥深いものですね。
■年越しそば
 
いわれには諸説ありますが、その中の一つ。元禄の頃、金銀のかざり職人が仕事仕舞いに飛び散った金粉銀粉を集めるのに、蕎麦団子をころがして吸い集め、これを水に放つと、蕎麦粉は溶けて金銀の粉は底に溜まる。縁起が良い、あやかりたいと世の人が晦日蕎麦に親しむようになり、その中の大晦日(年越し)だけが現在にまで残ったということだそうです。
 
糸魚川にも、10年程前まで、毎月晦日の夜に私共が必ずお蕎麦をお届けしていたお宅がありました。自宅けん仕事場になっており、そのお宅のおじいさんは、細工職人さん、でした。そうしたこともあり、年越しそばの色々あるいわれの中からも、初めにこのような話を思い浮かべます。
■蕎麦と酒
 
昼下がり、立て込みの終わった蕎麦屋に入り、板わさか焼き海苔をアテに熱燗を一本、仕舞いは「もり」で仕上げてその足で銭湯へ…。まるで落語のようですが、これが弊店主のささやかな隠居後の夢です。
 
泉家のお酒は地酒の「加賀の井」です。加賀の井さんは本店のお隣りの造り酒屋さんで、毎日飲んでも飲み飽きしないお酒です。糸魚川には地酒の蔵元が五蔵あります。昔より「糸魚川に誇れるものは、豆腐、玄白、稚児の舞」と申しまして、糸魚川は水の良い地域です。五蔵の仕込み水は三蔵が軟水、二蔵が硬水だそうです。それぞれに特色があり、どのお酒もいけますよ。
■のびた天ぷらそば
 
20年程前、東京の蕎麦屋さんで、近くのテーブルのお年寄りが天ぷらそばの天ぷらをアテに一杯やられておりました。その空間だけゆっくりと時間が流れているようで、見るからに美味しそうで、うらやましく感じました。ただ、あとのそばがつゆを吸ってのびているだろうなあ、とちょっと心配にもなりました。
 
最近になって、四十も半ばを過ぎて、そんな風につゆを吸ってのびた天ぷらそばもなかなか…と思えるのです。友人は胃が弱ってきたからだと笑いますが、「これもアリかな」と思えるのです。年齢とともに味覚の許容範囲が広がるのでしょうかね。
■木鉢三年
 
そば打ちの基本は、「一鉢二延し三包丁」とか、「包丁三日、延し三月、木鉢三年」などといわれるように、一番大事なのは木鉢での水まわしとくくりの工程です。「水まわし」は粉と水とを一粒ずつ結びつけるように、素早く入念にかく拌するのがポイントで、力を入れてはいけません。一方「くくり」は粉の粒子の表面に付着しているだけの水分を内部に押し込み、そば粉の持つ粘りを引き出すのが目的で、十分力を加えることがポイントです。こうした木鉢の段階で蕎麦の良し悪しがほぼ決まってしまいます。
■霧下のそば粉
 
霧下とは、最上級の蕎麦の実る地帯を言います。霧下地帯の特徴は、盛夏の候でも20℃を越すことはまれで、昼夜の寒暖の差がことに激しいことです。全国に霧下地帯は十数箇所ありますが、常識的には信越国境地帯を指し、特に妙高山麓産が最優秀とされています。
音を立ててもいいの?
 
熱いおそばを音を立てずに食べることは至難の技ですし、下手をしますとヤケドしてしまいます。では、冷たいもりそばも音を立てて食べるのは何故でしょうか?魯山人は「数の子は音を味はう」と言ったそうですが、確かにそうした音による刺激、「おいしそうだな」という感覚的な部分もあるかと思いますが、それだけではないように思えます。
 
パスタを食べるシーンを見ていますと、フォークに巻き取ったパスタを口に入れ、口にはこびきれなかったパスタを唇と歯と舌を使って音を立てずに器用にたぐり揚げています。スープも音を立てるのはダメですよね。
 
音を立てるのはマナー違反となる食文化の西洋でも、コーヒーのカップテイスターやワインのソムリエは音を立てて空気を取り込み味を聞き分けます。そばの香りはコーヒーやワインの香りよりずっと頼りないものですから、より良く味わうすべを昔にお客様が自然に見つけられて、それが音を立てても良い日本の食文化に受け入れられ、定着してきたように思われます。
 
もりそばをするすると口にはこび、同時に空気も取り込んで、ひとかみしてノドもとを過ぎるとき、そばの香りが鼻空へフッと抜けます。至福の時です。
 
熱いおそばは、下手をしますとヤケドしてしまいますからもちろんのこと、冷たいおそばも大いに音を立ててお召し上がりください。きっと、その店のおそばの持ち味を100%引き出すことが出来ると思いますよ。(2001/3/21)
もりそばのつゆ
 
蕎麦屋はつゆに相当気を使っております。蕎麦屋の大先輩たちは、言い方はそれぞれで多少違いますが、もりつゆに関して次のような口伝を残してくれています。
 
「もりつゆとは、醤油が入っていて醤油が入っていると分かっちゃいけない。鰹節が入っていて鰹節が入っていると分かっちゃいけない。砂糖が入っていて砂糖が入っていると分かっちゃいけない。味醂が入っていて味醂が入っていると分かっちゃいけない。どれが勝っていても、どれが負けていてもいけない」

これは蕎麦を食べる時、猪口を口元へ持っていったらプーンと鰹節のにおいがして、「ああ、いい匂いだな」と思ったらもうそこには蕎麦の香りはないわけですし、「甘いな」と思ったらもう蕎麦の味に気が行きませんから、何の味もしないつゆに付けて食べて初めて蕎麦の味だけわかるということを言いたいための口伝だと思います。「何の味もしないつゆ」と申しますのは、なんとなんとの組み合わせだということが分かるようなつゆではまだ本物ではなく、ただ「美味しい」と感じるだけのつゆ、ということです。

もりつゆを取る(つくる)うえで、私ども蕎麦屋にとりまして大切だと思いますことは、以上のような蕎麦を負かさないもりつゆを取るということと、もうひとつ、地域性、地域の味覚を大切にする、つまり地元のお客様に受け入れていただけるその店独自のもりつゆを取るということだと思います。ただ「美味しい」とだけ感じるつゆ、そう感じていただける対象はどなたなのか。それは地元のお客様にほかならないと思うからです。(2001/4/3) 
5月3日の成人式
 
当地では5月3日の憲法記念日に成人式を行います。今年も旅に出ている多くの二十歳の若者達がふるさとへ帰ってきました。成人式やその後の気の合った者同士の懇親会などを通じて、彼らは、地元に残った同級生達とも、お互いともども旧交を温めたようです。
 
お母さん方は、子供の好物や地元の旬の海の幸、山の幸を用意して彼らを迎えます。若者達はモッカノトコロ友達に会うのに忙しいようですが、それぞれに旅先に戻ったときに、おふくろの味やふるさとの味に慰められたり、勇気ずけられたりするのかもしれませんね。
 
以前に「娘が泉家のそばを食べたいっていてるんだわ」とお母さんが来られました。その娘さんは高校生のとき泉家でアルバイトをしていて、今は東京でパートで生活費を稼ぎながら劇団で頑張っている女の子です。現実と自分の夢とのはざまで押しつぶされそうになりながらも必死に押しのけようとしている彼女の姿が目に浮かびました。それまで店外に出したことのない生のそばを彼女に送ろうと決めました。お母さんの作ってくれた小荷物に打ち立てのそばとつゆをいれ、クール便で送らせていただきました。まるで救援物資を送るようなこころもちで・・・。
 
横町サティ店で「お子様そば」をお出しし始めてから17年になります。当時3歳の子供さんでしたなら、今年、新成人になります。おふくろさんの味には及ぶべくもありませんが、彼らにとって泉家はどの程度ふるさとの味になりえたのか、あらためて自問する糸魚川の5月3日の成人式でありました。  (2001/5/10)
そうめんとひやむぎ
 
毎日暑いですね。当地ではここ2週間ほど、雨がありません。こんな時は、蕎麦屋の私どもでも「夕飯はサッパリしたものにしようか」てなことになり、女房は手間がかからないのがカナリ嬉しいらしく「サッパリ賛成!大賛成!」となり、子供達はチョットでも早くしてくれるなら「ナンデモ賛成!大賛成!」となりまして、夕飯はそうめんかひやむぎてなことに相成ります。
 
おろしショウガを用意して、例の「へれつぶ」の皮をむき、茗荷などもあれば最高ですが、ショウガ以外に洋がらしもとてもサッパリしてよく合うのですが、とにかく箸を持って待っていますと、食卓の真ん中にザルにいっぱいのそうめんかひやむぎがでーんとやって来ます。「かかれー!」とユメユメ不覚を取ることのないよう心の中で気合をいれ、「イカンイカン熱くなりすぎてはイカン、サッパリと・・・冷静に・・・」という警醒を聞きつつも各自、戦闘状態へと突入していくのであります。

そうめんとひやむぎは基本的な材料はまったく同じです。現在の「乾麺類のニホンノーリンキカク」とやらでは麺の太さ、細さで分けていますが、そもそもの両者の一番の相違点はそうめんとひやむぎの製法の違いにあります。

小麦粉を食塩水でこね、植物油をつけながら手で細く、長く延ばしていく「手延べ」製法で作るのがそうめん。同じこね粉を薄く麺棒で延ばし、包丁で細く切る「手打ち」製法で作るのがひやむぎです。手延べそうめんの製法ではグルテン組織が一方向に整然と形成されるため食味が良いことが特徴です。シャギッと言うような食感がありますでしょう?一方ひやむぎは小麦粉の香りや味を楽しめて、モチモチした食感も残っています。ひやむぎの製法はうどんの場合と同様です。

そうめんは梅雨を2回越す2年もの、3回越す3年ものがよいと言われます。それは土蔵などにねかせるうちに、そうめんを延ばす時に塗った植物油が抜け腰もしまり、麺中のグルテンが変成して味、香りともによくなるからだそうです。ひやむぎも時間が経つにつれタンパク質の変成がみられ弾力も増しますが、その効果は手延べそうめんほどではありません。そうめんは3年ものになりますとさらに腰が強くなるのですが味は2年ものの方がよいといわれています。4年以上おくと枯れすぎで、風味も味わいも失せてしまうそうです。色でみますと1年もの(新)は白色、2年もの(ひね)は透明感のあるベージュ、3年もの(古ひね)は透明感の高いあめ色になっています。

泉家でお出ししている氷水に放たれたそうめんやひやむぎの場合は当店のざるそばのつゆでそのまま召し上がっていただくのがよろしいのですが、当家の食卓のようなざるに盛られたそうめんやひやむぎの場合はざるそばのつゆに氷を一カケ入れますと丁度よい塩梅になります。
 
さて、それでは私もハヤル心を抑えつつ「サッパリと・・・冷静に・・・」参戦させていただきます。(2001/7/30)
業突張りのコンコンチキ
 
東京での修業時代、快調に食べ歩きを楽しんでいた頃、ギョッとする話を店の社長から伺いました。社長が子供の時、同業者が何食わぬ顔で店に座っているのを見つけたお祖父さんが「とぼけやがって、ふてェ野郎だ。かまわねえから汁ンなか水ぶち込んで出してやれ!」と言っているのを聞いたことがあると言うのです。

「昔の人はすごいよなあ」と社長は笑いながら話してくれたのですが、当時(四半世紀前)はもはや傑物が闊歩するような時代ではありませんでしたので、お祖父さんの一言は、そこから昔の職人のすさまじい執念の様なもの・・・などと言いますとかっこ良すぎますが、要するにすさまじい業突張りのコンコンチキ度が感じられまして、駆け出し者を震え上がらせるには十分だったのです。

ただ、同じ業突張りでもお祖父さんは訳のわかった業突張りのコンコンチキだったようです。その後、別のおりに伺った話では、お祖父さんはちゃんと筋を通してきた人には事細かに自店の仕事を話してあげていたそうです。もしも同業者が挨拶をして店に座っていたら、あれも食べてみろ、これも食べてみろとなっていたかもしれません。

やっぱり、昔の人はすごいですねえ。話を伺った四半世紀前も現在も、もはやその様な事はございませんし、その様な方もいらっしゃらないでしょう。私にいたしましても、小心者ゆえ「汁ンなか水ぶち込んで出す」程の蛮勇は持ち合わせておりません。それが幸いなことなのか、残念なことなのか・・・?と申しますのは今にいたっても「業突張りのコンコンチキの蕎麦」に思いをめぐらせ、味を想像し、憧れている自分が私の中にいるからなのです。(2001/10/6)
鴨南ばんと牡蠣そば
 
熱燗の美味しい季節になりました。今日の糸魚川は朝から雨で、夕方になってから気温が下がり雷も鳴り出しました。冬の訪れもすぐそこまで来ています。

冬の美味しい種物(たねもの)といえば鴨南ばんと牡蠣そばでしょう。

鴨は国産のフレッシュな合鴨で、牡蠣は身のプックラした生食用がよろしいです。どちらも煮過ぎてはダメ で、特に牡蠣は沸騰したつゆにサッととうすぐらいがよろしいです。鴨南ばんには焼いた長ネギを添え薬味はおろしショウガで、牡蠣はそばの上に海苔を敷きその上に牡蠣を置き、柚子を添えます。どちらもい〜いダシが出て、それぞれ蕎麦とつゆと相まって鴨と牡蠣の香りがすばらしいです。牡蠣そばはフタをして香りが逃げないようにお客様へお出ししたいですね。

只今泉家では牡蠣そばのほうはお休みしておりますが、いつかはまたお品書きに載せたいと思っております。
 
雨がみぞれへと変わったようです。今晩あたり「鴨すい」などをアテに熱〜いので一杯、な〜んてのもよろしいようで…。 (2001/11/6)
薪釜の仕事
 
「ちょっとズルイなァ」と言いますか「残念だなァ」と思うことがあります。不覚にも、かまどで薪を使って炊いたご飯の味を思い出せないのです。子供のとき何年もの間食べていたはずなのに、覚えていることといったら、おひつで冷たくなってしまったご飯の味とか、それに番茶をかけ沢庵ポリポリで食べたとか、昨晩残ったご飯を翌朝おじやにしたこととかで、肝心のかまどで薪を使って炊いたほっかほかご飯の味を覚えていないのです。こうした記憶の偏りに「ちょっとズルイなァ」とつぶやき、記憶の欠落に「あ〜ぁ、残念だなァ」とため息をついてしまうわけです。
 
最近ではおこげが作れる炊飯器もあるようで、今もって炊飯器の開発技術者達が目指す原点は初めチョロチョロなかパッパの「かまどで炊いたご飯の味」にあるのだなアと何故かホッとし、サモアリナンウムウムと妙に納得させられてしまうのですが、同じように、現在はほとんどがガス釜になっているそばを茹でる釜も原点は薪釜にあるようです。「蕎麦への火の当たりが(適度で)よい」という言い方で蕎麦屋の大先輩達は薪釜を高く評価しています。

薪釜のおもりは大変な手間がかかり、なおかつパフォーマンスを発揮させるには熟練を要する釜です。一方、ガス釜は手間がかからず、ガス詮をひねるだけで何時間でも最大パフォーマンスを発揮させることが可能です。薪釜の時代は常に釜下(火加減)に注意をはらいました。ガス釜ではその部分がお留守になりがちです。便利になった分、そこに問題点もあるようです。
 
そばを茹でる釜は手前から奥へ対流がおこるように作られています。手前に浮き上がってきた蕎麦が湯の表面を伝うように奥へと流れてゆき、一番奥で沈み込み、釜底を伝って再び手前に浮き上がります。流れが速すぎますと(火力が強すぎますと)「ソラ煮え」と言いまして芯が残った蕎麦になります。流れが遅すぎたり、蕎麦が流れませんと(火力が弱すぎますと)「ムシ蕎麦」になってしまいます。釜前は蕎麦を入れたら必ず蓋をし、蕎麦の動きが速いなと思ったら差し水をしたりしてコントロールします。必ず蓋をしますのは、薪釜の火力を補うためですし、逆にいいますと蓋を必要としないほど強力な火力は蕎麦にとって不必要で、邪魔でさえあると言えます。

薪釜は、あの手この手の人智を尽くしてパフォーマンスを発揮させた状態 =イコール= 「蕎麦への火の当たりが(適度で)よい」状態なわけです。一方、ガス釜はあの手この手の人智を超越するような、蕎麦にとっては邪魔でさえあるような強力な火力を持っています。そこで私共は、薪釜の時代には戻れない以上、今もって炊飯器の開発技術者達が「初めチョロチョロなかパッパ」を先生としているのと同じように、ガス釜の火力をコントロールして「薪釜の仕事」を取り入れていかなければいけないと実感しています。 (2001/5/29)
食べ歩き考
 
東京にいる頃、「買い物に行くんだけど美味しい蕎麦屋さん教えてよ」と近所のご夫婦にいわれて、私のとっておきの蕎麦屋さんを紹介したことがありました。後日、いかがでした?と聞くとどうもお二人の表情がさえません。あぁ、口に合わなかったのかなァ…?。
 
糸魚川に引き揚げて来ましてから、仕事をしている午後2時ごろ、友人から店に電話がありました。「今、東京の○○にいるんだけど美味しい蕎麦屋さん教えてよ」私はとっておき×2の蕎麦屋さんを紹介しました。後日、どうだった?と聞くと「つゆが辛くて舌がしびれたァ」と彼はノタモウタのでした。

彼らの感想は率直ですこぶる正しいのです。私の方もとっておきの蕎麦屋さんを教えたのです。そうだとするなら何故感想、評価が違うのか?今あらためて考えてみますと、私の評価の基準が「すこぶる正しい彼らの評価の基準」と違っているということに思い至るのです。

私の東京時代、蕎麦の食べ歩きは休日の楽しみの一つでした。食べ歩きを続けているうちに自然と自分の中にルールのようなものが出来上がってきました。@ある特定(特に泉家や修業先)の蕎麦を基準にしたり、それと比較したりしない。基準にしないといいましても特に泉家の味は体に染み込んでいますから、忘れることは出来ないのですが、なるべくフラットな状態で目の前のお蕎麦を頂くように心がけました。A良い所だけ見るようにする。良い所にはその店の主張やこだわりがあります。また、当時私は駆け出しの下働きでしたが、同業者の端くれとして勉強させて頂いているわけですから、それが礼儀だとも思っていました。B自分の好き嫌いで評価しない。これは@やAとも関連してきますよね。まがりなりにも同業者の端くれとしてフラットな気持ちで勉強させて頂こうとしている身といたしましては、好き嫌いで評価してしまいますとそこから先には展開していかなくなっちゃうんですね。もちろん好き嫌いはありますよ。でもそれはしばらくの間、わが身の中で眠っていてもらうわけです。こんなようなことで、辛〜いつゆも甘いマイルドなつゆも、細い蕎麦も太い蕎麦も、ちゃんと仕事がしてあればマズマズ受け止めれるようになっていったと思うのですが・・・。

ただ、私が一般のお客様という立場だとしましたなら、@ある特定の蕎麦を基準にしたり、それと比較などしたりして、A悪い所にもチェックをいれ、B自分の味覚に合うか合わないか、好きか嫌いかで、しっかり評価すると思います。

ですからご夫婦や友人達はすこぶる正しい評価基準を持っておられると思うのです。責任は私の方にあったのです。少なくとも彼らの嗜好に思いをめぐらせお店を紹介するべきでした。ちなみにご夫婦は、標準語なので気がつかなっかたのですがお二人とも関西は神戸のご出身で、友人は、彼のお父さんの代から泉家のご常連なのでありました。  (2001/6/12)
カレー南ばん
 
そばでもうどんでも、カレー南ばんは好きです。どことな〜く、そこはかとな〜く美味しいなァと思います。作るときにも、注文が入ると気になって、ついつい自分の持ち場を離れて中台に行ってしまったりします。とろみの具合を決め美味しそうなつや加減をチェックして心の中でウン、イイッ!などと理由もなくつぶやいたりもいたします。

「そばにカレーは合わないよ。そばの香りが台無しだ」と言う方もおられます。確かにそのとうりだなァという気もいたします。蕎麦屋のカレー南ばんは本道ではない「ハシ」とか「キワ」とかいう部類に入るのかもしれません。でも、どことな〜く、そこはかとな〜く、やっぱりカレー南ばんが好きです。

「ハシ」とか「キワ」といいますと、玉子焼きや羊羹やカステラの「ハシ」が好きです。塩ジャケの皮や滅多に食せませんがヒラメのえんがわ、イカ刺しは耳のところが好きです。「ハシ」や「キワ」は「いいの、いいの。主役じゃないからそんなに前に出なっくっても。好きな人だけ食べてね」といたって控えめですが、なかなかどうしてイブシ銀のような存在感は主役にも引けを取りません。泉家で申しますと、主役はお蕎麦で、それ以外の品は「ハシ」とか「キワ」ということになるのかも知れませんが、その実力は主役にも劣りませんで、それぞれが御ひいきさんの支持をしっかりと頂戴しているように思われます。「ハシ」のない玉子焼きはありませんし、玉子焼きがなければ「ハシ」もございません。

カレー南ばんにはらっきょうを薬味代わりにお付けいたしております。辛さが足りない方は七味唐辛子をお使いください。予想以上に合います。(以下、個人的見解のきわみで恐縮ですが)つゆを飲み干したい衝動をなんとか抑えまして、残りのつゆにご飯を一口入れますと「即席カレー南ばん雑炊」になります。残ったつゆのとろみ加減、辛さ加減とご飯との塩梅が、いやはやこれがまた「ハシのハシ」「キワのキワ」でございまして、もう、タマラナイノデゴザイマス。 (2001/6/23)
 

  


■生がえしと本がえし
 
醤油と砂糖をまぜ合わせたものをかえしといいます。土中のかめなどにねかせておくと、醤油の角がとれ当たりがおだやかになります。「本がえし」はかえしを取る時に醤油を加熱したものであり、「生がえし」は醤油を加熱していない生のかえしです。一般に、「更科」系の白っぽい蕎麦には、風味が弱いので、そばつゆは醤油の風味を徹底的にころした温和な汁を作るため「本がえし」の方法にし、「藪」系の挽きぐるみの蕎麦には、すっきりとした冷たい辛さが合っているため、「生がえし」の方法がとられているといわれます。
更科そば
 
泉家は藪系の仕事ですが、弊店主は6年ほど更科系の蕎麦屋さんでお世話になりました。藪系と更科系で、そばの基本は変わりません。かえしが「生がえし」と「本がえし」であったり、せいろの色が黒塗りと朱塗りであったりとかの違いは確かにございますが・・・。両者の一番の違いと申しましょうか、藪系とは違う更科系の一番の特徴は、まっ白な「更科そば」(店内では更科御前とか御前そばとか申します)にあると思います。
 
「更科そば」を初めて目にしたとき、冷麦じゃないのかとビックリいたしました。それまで挽きぐるみの藪系のお蕎麦しか知りませんでしたので、食べてもどうもしっくりしませんでした。更科そばに開眼?するまで1年近くもかかりましたでしょうか。実はこのお蕎麦、誤解を恐れずに申しますと、揚げたてで食べてはその本領を発揮しません。完全に水を切ってから食べたほうがはるかに美味しいのです。ためざるに取った揚げたての「更科そば」に、うちわや扇風機で風を送り、菜箸でほぐしながら場所を動かしてなるべく早く完全な水切りをし、おみやげ蕎麦にします。ほのかな香りと上品な甘味、やさしい舌触り。更科そばを損ねない角を徹底的にとったマイルドなつゆで「更科のおみや」を頂いたとき、その美味しさをようやく実感いたしました。
 
まっ白な「更科そば」、「更科おみや」は徹底的に突き詰めていったひとつの形態、味であることは間違いございません。昔は園遊会、お屋敷、宮城にも「更科おみや」は納められていたそうですが、ところで、みなさんいかがでしょう。「まっ白で、揚げたてよりも、完全に水を切った方がはるかに美味しい」というヤヤッコシイお蕎麦の存在を認めて、受け入れていただけますでしょうか?  開眼?するまで一年近くもかかるかもしれないなどというメンドーナお蕎麦の行く末を、昔、1年半ほど毎日汗を流しながら打っていた者といたしましては(更科そばはつなげる力が弱いため湯ごねいたします)、わが身の分身のようにも思えまして、心から案じているしだいです。(2001/2/16)

    
サルボウ
 
釜から揚げた蕎麦に水をかけたり、前銅壺のお湯を釜にいれたりするときに使う道具に「片手桶」というものがあります。木製の桶で直径18cm、深さ15cmくらい、片手で持てるようにトッテが付いています。「片手」とか言ったりもします。

お風呂場グッズの中にプラスチック製の「片手式お湯または水汲み取り容器」みたいなものがありますよね、そんな感じです。それを私の祖父は「サルボウ」とも言うのだと店のものに話していたそうです。サルボウとは一体いかなるイミデアルノカ?
 
修業先の主人や先輩達に聞きましたが、サルボウという言葉を聞いたことがないといいます。泉家の父や母は、じいちゃんはサルボウといっていたが、なんでサルボウというのかは分からないというのです。そしてかくして、イットキですがサルボウの話を伺ったみなさんも私も「ちょっと眉間にシワ寄せちゃうよ症候群」に陥ってしまうのです。

ある時、職人会(今で言う人材派遣業ですね)から来ていた古株の職人さんに
「片手桶は、他に言い方ありますか?」 
「あるよ、エテコウって言うんだ」 
「エッ?」 
「ほら、こうやって持つと猿みたいにブラブラするだろう。だ からエテコウ」 
「・・・!」  

ナンテッコッタイ!昔の人はやってくれるじゃありませんか、猿みたいにブラブラするからエテコウだなんて。

そうなんですね。サルボウは実はサルのボウや「猿坊」だったのです。トホホ・・・(笑)。  (2001/7/14)
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きっかけの一杯
 
蕎麦屋に生まれて、母の実家も蕎麦屋でしたので、物心付く頃から蕎麦が好きだったのかといいますとどうもそうではありません。という言い方をしますと、じゃあ今は好きなんだね、と聞かれそうですが、今までに恐らく1万食位食べておりまして未だに飽きませんので、チョットおかしいのじゃないかというご批判もありましょうが、まあ好きな方だと思うのです。
 
子供の頃は蕎麦が身近にありすぎて好き嫌いの対象ではなかった気がいたします。かえって子供心に親の商売がとても大変そうに思え、蕎麦に好意?は抱けませんでした。加えて、私の小学校の頃はソバといえばシナソバ・ラーメンの時代で、蕎麦は黒いソバとか日本ソバと呼ばれており、同級生達の関心ももっぱらラーメンで私もその影響をたぶんに受けていました。

私が蕎麦の美味しさに目覚め泉家の蕎麦も見直したのは、皮肉にも高校を出て糸魚川を離れてからでした。当時、母の実家の直吉(なおきち)という蕎麦屋でアルバイトをしていた時、そこで食べた一杯の「ぶっかけ」がきっかけとなりました。「ぶっかけ」と申しますのは丼にもり蕎麦をいれ、その上に薬味とか揚げ玉とかおろし、ワサビを適宜のっけてもりつゆをぶっかけて食べるいわば賄い蕎麦です。それは、それは、美味しかったなアー。

それがきっかけとなりまして、帰省して食べた泉家の蕎麦も大いに見直すこととなりました。手前味噌、オラガソバになってしまいますので以下カットいたしますが、出来の悪いサケが、ようやく匂いを嗅ぎ分け生まれた川に帰って来たといったところでしょうか。
 
残念ながら蕎麦屋の直吉は今はもうありません。店は銀座松屋の裏通り、中央競馬会銀座場外馬券所のはす迎えにありました。美味い蕎麦屋でした。(2001/9/11)